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seize the day

あなたは本当の幸せに耐えられるか

 

仏教ではこの世は一切皆苦と言う。

 

目標を持って努力し叶え、喜びに浸かるも

この世の中は諸行無常だ。

 

過ぎ去った喜びを求めまた次の不足点を見つけ努力する。

 

世間で言う幸せは常に向こう側にあるようだ。

 

ここにはない、幻の未来に毎回幸せを自ら設定し努力する。

 

そして実はお手製のストーリーに苦しまれてるはずが、世間は社会は人生なんてとああだこうだ批判する。

 

 

果たして生まれては消える幻のようなものを

本当の幸せと呼んでいいのだろうか?

そんなものを追い求め続けることが

幸せなのだろうか?

 

 

実際人々は"本当の幸せ"になんて耐えきれはしない。

なにもかもに満足しきることは、

自我にとって死をも意味する。

 

本当はすぐに幸せになれるはずなのに。

すぐに満足できるはずなのに。

 

ここで言う満足とは妥協するということではない。

"諦める"ことである。

"諦める"と"妥協"とは意味が混同しやすいが

諦めるの本来の意味は物事を明らかにすることである。

 

苦しみとは色眼鏡で世界を見た結果だ。

色眼鏡を外した後に見える世界は

ただの日常である。

 

『幸せになる勇気』では「なんでもない日々」こそが試練となる。

と書かれている。

 

ただなんでもなく、そこにあなたがいて私がいて

空があり、雲は流れ、風が吹いている。

 

 

そんななんでもない日常を"本当の幸せ"と呼ぶなんて

あなたは、私は、耐えられるだろうか。

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII