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seize the day

料理の最後の決め手はあなた

 

現代人は本当にしっかり食事をしているだろうか。

 

だいたいは"ながらぐい"である。

 

何かをしながら、ついでに口に食べ物を運びとりあえず腹を満たしている。

 

食事ではなく、その"何か"がメインとなってしまっているのである。

 

そのことに気づき、食事をするときには食事だけに集中する。

一瞬たりとも、味を逃すまいと集中する。

隅々まで味わうのだ。

 

そうすると、食べ慣れた味でさえ顔がにやけるほど美味しくなる。

まるで口に入れた瞬間、速攻で高級料理に変わってしまったかのように。

 

"ホームレス中学生"では

白米を噛み続けると、味の向こう側にたどり着くと言う。

 

とある弁護士は

毎日同じ物を食べても、常に美味しい。飽きない。なぜなら、昨日食べた味を忘れているからだ。と言っていた。彼は記憶をコントロールする重要性を述べていた。

 

いつだって目の前にあるのは、美味しい食べ物ではない。

美味しく食べるのも自分の心がけ次第なのだ。

常にその姿勢が料理の美味しさを決める。

人と話すのが楽になった

 

最近人と話すのが楽になってきた。

 

前まではコミュニケーションをとることが自分にとって、

一番の難題だった。

 

自分は面白い話はできないし、相手の話を聞いてるのも正直退屈だった。

 

だが、最近『人望が集める人の考え方』を読んでからは

聞く側に比重を置いて会話をするようになった。

 

実践してみてから、考えが変わった。

今までは面白い話をすること、相手が興味を持つ話をすることが重要だと思っていた。

だが、実際は話し上手になるより聞き上手になる方がよっぽど簡単で、しかも得である。

 

コミュニケーション術において小手先の技なら、これまでも知っていた。

しかし人間の習性を知り、会話において人は何を求めているのか理解するようになってからは人との会話が楽しくなり、楽になったのだ。

 

全ての人は自分の重要性を認めてほしい。

 

会話を通して求めているものは"自分の重要性"である。

それを聞くという姿勢で相手を満たすことができるのだ。

 

相手が気分良くなると、場の空気も良くなる。

そうすれば、自ずと楽しくなっていくだろう。

それでも楽しくなければ、無理に会う必要はない。

 

『人望が集まる人の考え方』からの引用

「相手の言い分に共感して理解のある態度を示すことが、人望を集める最も効果的な方法である。しかし、相手の話をじっくり聞くという単純な方法を実行している人はごくわずかしかいないのが現状である。」

 

"私"というのはこの世界の中心ではない。

世界の一部であり、共同体の一部である。

 

"私"が"私"にしか興味をもたなくなることが悩みの根源である。

"私"ではなく"相手"に興味を向け話を聞くのだ。

その基本的なことがより良い人間関係を生むコツに違いない。

 

 

動物の進化はよくできている。

口は一つ、耳は二つあることは偶然ではないだろう。

 

 

 

人望が集まる人の考え方

人望が集まる人の考え方

 

 

 

あなたは本当の幸せに耐えられるか

 

仏教ではこの世は一切皆苦と言う。

 

目標を持って努力し叶え、喜びに浸かるも

この世の中は諸行無常だ。

 

過ぎ去った喜びを求めまた次の不足点を見つけ努力する。

 

世間で言う幸せは常に向こう側にあるようだ。

 

ここにはない、幻の未来に毎回幸せを自ら設定し努力する。

 

そして実はお手製のストーリーに苦しまれてるはずが、世間は社会は人生なんてとああだこうだ批判する。

 

 

果たして生まれては消える幻のようなものを

本当の幸せと呼んでいいのだろうか?

そんなものを追い求め続けることが

幸せなのだろうか?

 

 

実際人々は"本当の幸せ"になんて耐えきれはしない。

なにもかもに満足しきることは、

自我にとって死をも意味する。

 

本当はすぐに幸せになれるはずなのに。

すぐに満足できるはずなのに。

 

ここで言う満足とは妥協するということではない。

"諦める"ことである。

"諦める"と"妥協"とは意味が混同しやすいが

諦めるの本来の意味は物事を明らかにすることである。

 

苦しみとは色眼鏡で世界を見た結果だ。

色眼鏡を外した後に見える世界は

ただの日常である。

 

『幸せになる勇気』では「なんでもない日々」こそが試練となる。

と書かれている。

 

ただなんでもなく、そこにあなたがいて私がいて

空があり、雲は流れ、風が吹いている。

 

 

そんななんでもない日常を"本当の幸せ"と呼ぶなんて

あなたは、私は、耐えられるだろうか。

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

 

人生で初めて男子トイレに入ってわかったこと

 

 

 

あの時、私は急いでいたのでしょうか。

 

 

トイレに入ったのですが、なんだかいつもと雰囲気が違いました。

 

個室は少ないし、暗いし、とにかく全体としてやけに狭いのです。

 

新宿のデパートなのにおかしいな〜。

 

と思いながらも

空いてなかったので、鏡で髪を整えたりしてました。

 

 

そしたら、

 

 

ぎょっぎょっぎょっぎょっぎょ(さかなクン風)

 

 

男性が入ってきました。

こちらを一瞬見たようでしたが、彼は無反応でした。(さかなクンはわたしです)

 

不審人物だとでも思われたのでしょうか?

それとも新宿3丁目だったため、私は2丁目の方に間違われたのでしょうか?

 

 

真意を確かめる暇はなかったで、

猛ダッシュで逃げました。

 

 

もちろん、女子トイレへ。

 

そしたら、びっくり。

 

女子トイレのゴージャスぶりに。

 

いつもなら何も感じないはずですが男子のトイレに入った後だと、驚愕です。

 

それで、わかったことがあります。

 

 

男性にとってのトイレ→用を足す場所

女性にとってのトイレ→息抜き

 

 

女性はトイレを思い思いに楽しんでいます。

鏡の前には椅子もあり、化粧直しをしやすい環境が整っています。

雰囲気も明るく買い物で疲れていたとしてもここに来れば、なんだか気持ちもリセットできます。

 

デパート側もトイレをエンターテイメントの一部としているのでしょう。

 

 

そんなこんなで、女性のトイレは今日も長いし男性を待たせることだと思います。

しかし、女性にとってはこのトイレのブレイクタイムというのは欠かせない時間なのです。

 

私も男性トイレについて知ることができたので、

少しでもみなさんに女性トイレの実態を知っていただければ幸いです。

運を良くする方法

 

 

 

"運"という言葉は一見、弁護士には似つかわしい言葉だ。

 

 

弁護士というのは

議論上で相手を論破するために、物事を論理的に組み立てることが大切だ思われているからだ。

 

その点、"運"という言葉は"論理"とは真逆の位置にいる。

 

 

だがキャリア47年のベテラン、西中弁護士はこう断言している。

 

1万人の人生を見てきたなかで

世の中には確かに運良い人と運の悪い人がいる。

 

○運の良い人の法則
「運が良いとしか言いようのない人がいる」
「運は人徳、すなわち人間性で決まる」
「運が良い人は、〝人の役に立つ〟〝神さまに喜ばれる〟ことをしている」
「運を良くしたいのなら良い人と付き合う」
「運を良くするには、善いことを積み上げるとよい」
「恩を受けた負債を返すことが、運を良くしていく」
「縁を大切にすると、運が開ける」
「人を思いやる言葉には幸運を呼ぶ力がある」

 

その法則をこの本の中で述べている。 

 

 

 

 

 物を上に投げたら、下に落ちる。

あらゆる出来事は法則で成り立っている。

 

重力と同じように運というものも

論理的に法則として成り立っているのかもしれない。

 

科学(客観的に)で"運を良くする方法"は証明されていないから

確信するには自分自身の体験でしかない。

 

それを死に際になって確信してもしょうがない。

 

誰もが薄々感じている目に見えない動きを

普段から信じ、大切に扱っていたらどうなるだろう?

 

 

類は友を呼ぶ。笑う門には福来る。

試すのはタダ!人生、実験だ!

理想の大人とは何か

 

理想の大人、憧れる大人とは何か。

 

 

知識が豊富で、

人々から好かれ、

年収が高くて、

愛する家族がいて、

etc ...

 

挙げればキリがない。

 

表面上はそうだ、そんなもんだ。

 

 

自分を満たしてくれるもの=世間が良しとしているもの。

 

 

私の理想とする大人はそんなもの蹴散らかして、世間や外に基準を置かない

自分を生きてる人間だ。

 

 

それがどうゆうものなのかまだ若者の私にはわからないけど、そんな人生生きてみたいと思う。

 

 

終わりがあることを自覚して、今を踊り狂う大人になりたいな。

ブログを始めるの巻


今日から、ブログを始めてみます。


誰得なのかわからないけど。


文章力が身につくでしょうし、

自分の考えをがまとまるでしょうし、

論理力が高まるでしょう。


そんなお堅い意味は放り投げて、

踊るように書き綴っていきたいと思います。


飽きるまで。